AIがつくったものに愛着を持てる?
橋本 卓磨
連載『情動からはじまるAIクリエイティブ by 橋本 卓磨』
AIの進化によって、これまで個人では難しかった表現も実現できるようになりました。AIが「それっぽいもの」をつくれる時代に、私たちは何をつくりたいと思うのか。その問いは、これからのものづくりにおいて、避けて通れないものになりつつあります。
この連載では、Webやインタラクティブ表現に関わるFunTechの橋本氏が、AIと向き合いながら、自身の揺らぎや違和感を起点に試行錯誤を重ねていきます。技術の可能性を追うだけではなく、その手前にある動機や情動を見つめ直しながら、ものづくりの出発点を探っていく記録です。
• 第一回:AI時代、自分は何をつくればいいんだろう
前回の記事では、AI時代に「自分は何をつくりたいのか」が見えにくくなっている、という話を書きました。
第二回では、その問いを仕事の側、特にデザインやクライアントワークの文脈に広げてみたいと思います。
AIが「それっぽいもの」をどんどんつくれるようになっていくなかで、デザインの価値はどこに残るのでしょうか。成果が測りやすいもの、正解に近づけるもの、効率化できるものは、今後ますますAIが得意になっていくはずです。
では、その先で人間は何をするのか。
最近考えているのは、デザイン会社の価値は、クライアントの思いやエゴ、あるいは自己満足に寄り添い、それを形にするところに残るのではないか、ということです。
ここで言うエゴや自己満足は、悪い意味だけではありません。
たとえば、ある会社がブランディングを一新したいとします。
売上や採用につながることはもちろん大切です。でもそれだけではなく、「自分たちはこういう会社でありたい」「これまで大切にしてきたものを、ちゃんと次の形にしたい」「社員が胸を張れるものにしたい」という思いもあるはずです。
そういう思いは、数値だけでは扱いにくいものです。
言葉にするのが少し恥ずかしい理想もあるし、本人たちもまだうまく説明できない違和感もある。デザインの仕事には、そうしたものを一緒に言葉にして、見える形にしていく役割があるのではないかと思います。
山頂にワープして絶景だけを見せられても、人は同じようには感動できないのかもしれません。
途中で休憩して、息が上がって、誰かと話して、それでも登ってきたという感覚があるから、最後の景色を自分のものとして受け取れる。デザインもそれに近いところがある気がします。
ただ、ここで「だから人間にしかできない」と結論づけるのは早い気もします。
AIはすでに、曖昧な言葉を整理し、意図を汲み取り、複数の案を出してくれます。
もしAIが、人の思いやエゴを丁寧に聞き取り、納得感のある過程まで設計できるとしたらどうでしょうか。
今回は、「AIがつくったものに愛着は持てるのか?」を、いくつかの実験から考えてみます。
実験1:AI生成の「ありきたり感」は回避できる?
まず試したのは、コード生成に入る前に画像生成を挟むことです。
Xに投稿した例では、コンセプトからポスターやアルバムジャケットのようなビジュアルをGPT Images 2.0で生成し、それをもとにCodexでWebとして実装しました。
これまでAIにいきなりコードでデザインを生成させると、どうしても見慣れたレイアウトに収束してしまう感覚がありました。整ってはいるけれど、どこか平均的で、強い引っかかりが残りにくい。
そこで、ポスターやアルバムジャケットのように、視覚的な蓄積が豊富そうな形式を一度経由させてみました。
画像生成AIは、構図や質感、色、タイポグラフィの雰囲気を強く出してくれます。そのビジュアルを設計図のように扱い、Webとして再構成すると、最初からHTMLやCSSだけで生成したときよりも、少し変な形や面白いズレが残りやすいように感じました。
AIは「それっぽさ」に寄りやすい。
でも、経由する文脈を変えると、収束先も変えられるのかもしれません。
実験2:AIに「審美眼」を持たせられるか
次に試したのは、AIを自律的に動かして、数学的・物理的なルールに基づくインタラクティブなビジュアル作品を蓄積していく実験です。
この投稿では、数値的な厳密さよりも、見た瞬間の美しさや触ったときの気持ちよさを重視し、その根拠も毎回AIに定義させてみました。
AI自身が関数や現象を探し、テーマを設定し、実装し、レビューし、さらに改善する。そういうループを回すことで、AIにある種の審美眼のようなものを持たせられるのではないか、という実験です。
トークンを消費するので今は一時停止中ですが、これはかなり面白い感触がありました。
AIは、ただランダムにコードを書くのではなく、「この動きは有機的に見える」「反応が強すぎる」「もっと余白を持たせたほうがよい」といった評価をしながら改善していきます。
もちろん、人間の審美眼と同じものではありません。
でも、評価軸を与えれば、AIは自分の出力を見直し、よりよい方向に進めようとします。
一方で、「そもそも何を美しいと思いたいのか」「どの方向に審美眼を向けるのか」は、まだ人間側にあるようにも感じます。
実験3:AIエージェントで「表現」を実装する
もうひとつ、仕事に近い文脈で試したのが、弊社のCIブランディングサイトをAIエージェントで実装する実験です。
この投稿で触れたように、実装工程のすべてをCodexやClaude CodeといったAIエージェントで進めました。
ポイントは、気持ちいい「表現」を実現するために、Tweak-Drivenで進めたことです。
エージェントにはGUIとチューニング用のstoreを実装してもらい、人間は実際の画面を見ながら気持ちいい値を探します。
AIだけでは判断しきれない動きの気持ちよさやフィードバック感を、人間の感覚で調整する手法です。
ただ、実装工程をAIエージェントで進めたとはいえ、デザイナーは人力でかなり試行錯誤しています。
どう見せるか、どこに違和感があるか、どの案なら自分たちらしいか。そうした判断は、人間側が何度も行っています。
AIは実装を速くし、試せる量を増やし、手を動かす負担を大きく減らしてくれます。
以前なら工数が大きすぎて、試す前に諦めていた案も、まず形にしてみることができる。
すると人間は、「どう実装するか」よりも、「これは自分たちらしいのか」「この違和感は残すべきか」「何に納得したいのか」に時間を使いやすくなります。
これは、AIが人間の仕事を奪うというより、人間が悩む場所を変えることなのかもしれません。
愛着はどこから生まれるのか
ここまでの実験を振り返ると、AIはかなり多くのことができます。
ビジュアルの飛躍もつくれる。インタラクティブな表現も実装できる。評価軸を与えれば、自分の出力をレビューし、改善することもできる。
では、AIは人が愛着を持てるものをつくれるのでしょうか。
現時点での私の答えは、「完成物としてはかなりつくれる。
でも、愛着そのものをつくるには、まだ人間の欲望や過程が必要なのではないか」というものです。
AIが出したものに、ふいに愛着が湧くことはあります。
自分では思いつかなかった形が出てきて、なぜか気になってしまう。
偶然のズレが妙に魅力的に見える。そういう瞬間は確かにあります。
でも、その愛着が深くなるには、「なぜこれを選んだのか」「なぜこれが自分たちらしいと思ったのか」という過程が必要になる気がします。
AIは形を出し、言葉を整理し、理由を提案できます。でも、「これが欲しい」と最初に思うこと。「これは自分たちのものだ」と引き受けること。「この違和感は残したい」と決めること。そうした部分には、まだ人間の側のエゴが残っているように思います。
そして、そのエゴは必ずしも悪いものではありません。むしろ、AI時代における創造性とは、そのエゴや自己満足をどれだけ大事にできるかに関わっているのかもしれません。
ここで改めて考えたいのが、AIは創造性を持ち得るのか、という問いです。
「こういうものが欲しい」「こういうものを見たい」という最初の想いは、人間にしか持てないのかもしれません。その衝動さえあれば、AIは意外なほど形にしてくれる。だとすると、その原動力こそが創造性だとも言えます。
その意味では、AIは創造性を持ち得ない。
一方で、創造性を「最初の衝動を具現化する力」と捉えるなら、AIはすでに創造性を持っているとも言える。
AIは、人間のエゴや自己満足すら形にできるようになるかもしれません。
でも、そのエゴを持つこと。自己満足を恐れずに引き受けること。
何を愛したいのかを決めること。
そこには、まだ人間の仕事が残っている気がします。
次回は、この問いをWebというメディアに戻して考えてみます。
広いけれど浅くなりがちなWebを、どうすればもう少し深い体験の場にできるのかを考えてみたいと思います。
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2026.06.09
AIがつくったものに愛着を持てる?